初めての試合 (WKフェスティバル)

こんばんは。西林です。
前回の続きです。

[追記]澤田真琴さんの情報で大会について色々わかりました。

覚えている限り、初めて試合に出たのは、2000年前後 5月の、WKネットワーク(和術慧舟會グループ)全体の内部試合(追記:「WKフェスティバ~ル」)でした。内部試合と言ってもプロからアマチュアまで広く出場できる巨大グラップリングトーナメントで、4階級くらいに分かれていたと思います。場所は中央区スポセンでした。この時のルールが「JJグラップリングルール」という面白いもので、立ち技はなく、上下を決めて開始し、一本取るor時間が来たら上下交代。そして画期的なのがパス以外にも、上がハーフになったらタイムカウントされ、判定ではその秒数が多い方が勝ちというルールでした(色々間違ってるかもしれません!)。ハーフは殴れるポジションだから、という理由だったような気がします。まさに「寝技最強を決めるルール」( by高瀬大樹さん)。今やっても面白いと思います。(追記:パンフによると、総合格闘技用寝技強弱決定システム)

65kg以下級で出場し、実力や自信など全くありませんでしたが、すぐにプロに当たらなった事(そういえば組み合わせはランダムではなく意図的に決められていた)や、ハーフで時間を稼ぐ事をうまく利用して奇跡的に3回くらい勝てました。試合をしているうちに、「ハーフにするなら何となくできそうかな」という感覚があったのを覚えています。ベスト4、準決勝でプロの廣野剛康さんに裸絞めで負けました。やはり全く歯が立たず、プロの違いを感じましたがいい経験になりました。その廣野さんが今柔術に戻ってこられているのも、嬉しいです。(追記:65kg以下 トーナメント表)
同じ階級には当時アマだった漆谷さんも出場し、廣野さんに負けていたと思います。80kg以下級は当然のように高瀬さんが無双し、決勝も宇野さんに一本勝ちでした。(追記:超豪華!80kg以下、以上 トーナメント表  表紙)

当時はMMAだけでなくグラップリングも盛り上がっており、慧舟會主催のプログラップリング興行「コンテンダーズ」も人気でした。いろんなジャンルの強豪選手によるトーナメントなど、ワクワクしましたね。→The CONTENDERS Millennium1 紹介V (2001年6月)
コンテンダーズは慧舟會の選手も多く出てて、大好きな大会でした。
私はアマチュア大会である「アマチュアコンテンダーズ」にエントリーして一回勝ち、代官山剣選手に一本負け。優勝は所英男選手でした。→ BoutReview (2001年5月)
自分の記憶ではグラップリングで出場したはこの2大会ですかね。

その頃、昔リングスごっこをよくやっていた兄も格闘技を始め、通いだした総合格闘技サークルに、自分も一緒に顔を出すようになります。それが「ヒットマンズクラブ」。慧舟會の初期メンバーである波田野さんが中心となり、毎週日曜に社会人や学生に格闘技を教えるサークルでした。柔術と出会ったのはそこででした。ヒットマンズクラブは私の格闘技人生の中でもかなり大きな影響を与えてくれた団体でした。

次回はヒットマンズクラブ、柔術初試合、ジム移籍、あたりです。

 

【重要】休館を5/31(日)まで延長します。

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